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3月10日 [想う事]

その日、東京の天気は晴れていたに違いない。
記録では冬型の気圧配置が、多大なる影響を及ぼしたとある。
きっと今日のように・・・

_2130045.jpg


まだ影も形もないころのこと。
父親さえ疎開に行くことができる年齢に達していなかった。

焼夷弾の降り注ぐ中、
犠牲者の横たわる町を、どんな思いで人々は逃げ惑ったのだろう。

祖母は、幼い父と自分の妹を連れ、
どこをどうやって逃げたかも分からないと、
一度だけ話してくれた。

その祖母ももういない。
聞いてはいけない気がしていた。
でも、聞きたかった、聞けばよかった。
どんなに想像しても感じることのできない痛みを、
少しでも自分の体に感じたかった。

沢山の犠牲者の山、
燃え盛る町・・・
想像しようにも、想像などできるはずもない。

いかに自分が平和な日々を過ごしているのかと思いながら、
帰途に着いた。

空を見上げて気がつく。
空からほんの少しだけ雪が舞っている。


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コメント 2

yoko

chaさん、読ませて頂いていて何故か涙が出てきました。
ある時 ダイビングで戦争の話になって、「戦争ってそんなものと違うわよ」
Tえっ!yokoさん戦争知っているの?」と聞かれて 、私の方が驚きました。
小さな小さな時でしたが隣の街が焼けて 今度は???と怯えつつ 雨の中母に着いて逃げましたよ。
一度は父達が作ってくれた 防空壕に逃げ込みましたが、今夜は此処に居ると蒸し焼きになるからと、山の方に逃げました。
山からは 真っ赤に空を染めて隣町が空爆を受けました。
岐阜の田舎ですから、多分6月だったでしょうか?
壕の中が湿気ていたのを思い出します。
でも、怖いのが先でした。

父は家を守り、母は近所の人達と 我々を連れて・・・・

今は本当に幸せですね。
世の中が悪いから、何時お迎えが来ても好いわ!なんて贅沢言ってました・・・反省
by yoko (2011-03-10 22:06) 

chacha

yokoさん、おはようございます。
お話ありがとうございます。
やはりお聞きして涙が出ました。
そして反省。
いつかゆっくりお話をお聞きできたらと
思ってます。
母や、祖母の分まで。
by chacha (2011-03-11 06:54) 

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